Araiguma Kazu 50代から始める人生マネジメント

東日本大震災のとき

Diary

あれから13年。自分を取り巻く環境は大きく変わるものですね。

2011年3月11日

転職前の会社の川崎オフィスで仕事をしていました。

今まで感じたことのない激しい揺れで、机の下の狭いスペースに隠れました。

ちょうどその頃予定されていた防災訓練の部門代表が私の番だったので、避難訓練の段取りを予習した直後でした。最初の揺れが収まった後、その情報をリーダにお伝えしつつ建物外の避難場所に集団避難しました。途中オフィスビルの壁がひび割れていて普通の地震ではないなという思いを強くしました。

その後、公共交通機関は動いていないものの自宅へ帰れる人はお帰りをという流れになり、歩いて帰ることにしました。当時は川崎の社宅に暮らしており、深夜終電を逃したときなど歩いて帰ったことがありました。

携帯電話かメールかは憶えいていないのですが、帰る前に自宅にいる家内と連絡がとれました。「停電しているので食べ物・飲み物を買って帰ってきてほしい」と言われ、会社そばのイトーヨーカドーで買い物をしてから帰りました。普通に営業していました。

歩いて自宅に着くとあたり一帯は停電していました。夜になると真っ暗で、トイレも流せなくなっていたかもしれません(社宅の水くみ上げポンプの停止?)。

私は一晩寝て復旧を待てばよいと言ったのですが、家内はいやだったようで、停電になっていない横浜の私の母の家に車で家族5人で行き泊まりました(買って運んできた飲み物・食べ物はどうするんだ?)。なお家族は妻と子供3人と私です。子供は上の二人は小学生、一番下の子は幼稚園児でした。

社宅あたりの停電はたしか翌日には復旧し、私たち家族の生活は比較的通常に戻りました。

当時郊外に新築一戸建てを購入しているところで、この3月下旬が物件の引き渡し予定でした。この引き渡しも予定通り行われ、2011年4月から新しい土地で家族5人の生活を始めたのです。

毎年3月11日になると、悲惨な東日本大震災とともに、2011年のその頃の生活のスナップショットが思い出されます。

・ 川崎での仕事仲間
・ 社宅の様子
・ まだ小さかった3人の子供たち
・ 当時は一人暮らしだった実母
・ 綺麗だった新築の家と庭

いやぁ歳を重ねましたね。私も家内も。